インド編

仏教の母なる国インドの経典を読んでみましょう。
このお経は、インドのお釈迦さまの言葉を忠実に伝えるものとして
有名な経典で、原文は昔のインド文字・パーリ語です。

 翻訳は中村 元先生(元東大教授)です


感 興 の こ と ば

 1

この世で、心が暗くふさぎ込んだり、眠くなるのを取り除いて、心を喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興の言葉をわれは説くであろう。さあ聞け。

  2  

すべてを知りきわめた人・救い主・慈悲深い人・最後の身体を保つ人である仙人・尊師は次のように説かれた。

  3 諸々のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。
  4 何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか。ーーー世間はこのように燃え立っているのに。汝らは暗黒に陥っていて、灯明を求めよ うとしない。
  5

あちこちの方角に投げ捨てられまき散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、この世に何の快さがあろうか?

  6 夜の最初のあいだ母胎に入って住みつく人は、安らかにとどまること無く、迷いのうちに還って行く。ーーー去ってもはや還って来な  い。
  7 朝には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々のすがたがみられない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々の すがたがみられない。
  8

「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の命を当てにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んで行くのだ。ーーー男でも女でも、次から次へとーーー

  9 ある者どもは母胎の中で滅びてしまう。ある者どもは産婦の家で死んでしまう。またある者どもは這い回っているうちに、ある者どもは駆け回っているうちに死んでしまう。
 10 老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去っていく。ーーー熟した果実が枝から落ちて行くように。
 11 熟した果実がいつも落ちる恐れがあるように、生まれた人はいつでも死ぬ恐れがある。
 12 陶工の作った土器のように、人の命もすべてついには壊れてしまう。
 13

糸を操って広げて、いかなる織物をなそうとも、織る材料(糸巻き)が残りわずかになってしまうように、人の命も同様である。

 14 死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。
 15 山から発する川の水が流れ去って還らないように、人間の寿命も過ぎ去って、還らない。
 16 功労でも些細な事でも苦しみと結びついている。水面を杖で打っても、すぐに跡が消えてしまう。
 17 牛飼いが棒をもって牛どもを駆り立てて牧場に到着させるように、老いと死とは諸々の病いを持って人々の寿命を終わらせる。
 18 昼夜は過ぎ行き、命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。ーーー小川の水のように。
 19 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者にとっては、生死の道のりは長い。
 20 「私には子がいる。私には財がある。」と思って愚かなものは悩む。しかし、すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。
 21 男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。
 22 いくら財産を貯えても、最後には尽きて無くなってしまう。高い地位身分もついには落ちてしまう。結びついたものはついには離れてしまう。命はついには死に至る。
 23 生きとし生ける者どもは死ぬであろう。命はついには死に至る。かれらはそれぞれ善と悪との報いを受けて、つくった業の如何にしたがっておもむくであろう。
 24 悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善い所(天)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威の無い場所はない。
 25

この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き物は身体を捨てて逝くであろう。智ある人は、一切を捨てることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。

 26 この世で老いぼれた人を見て、また病んだ人を見て、また意識作用の消え失せた死人を見て、思慮ある人は家の絆を捨て去った。ーーー世間の人々にとって欲楽は実に断ち難いものであるが。
 27 いとも麗しき国王の車は朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを説いてきかせる。
 28 なんじ卑しき老いよ! いまいましい奴だな。おまえは人を醜くするのだ!麗しい姿も老いによって粉砕されてしまう。
 29 たとい百才を生きたとしても、ついには死に帰着する。老いか、病か、または死が、この人に付き添って殺してしまう。
 30 人々は昼も夜もそこなわれ、つねに過ぎ去って帰らない。魚が火あぶりにされているように、生死の苦しみを受けている。
 31 歩んでいても、とどまっていても、人の命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。ーーー河の水流のようなものである。
 32 人々の命は昼夜に過ぎ去り、ますます減っていく。ーーー水の少ない所にいる魚のように。かれらにとって何の楽しみがあろうか。
 33 この容色は衰えはてて、病の巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまうであろう。命はついに死に帰着する。
 34 ああ、この身はまもなく地上に横たわるであろう。ーーー意識を失い、うつろで、藁のように、投げ捨てられて。
 35

この身体に何の用があろうか?ーーーいつも臭穢を漏らし、たえず病におそわれ、老いと死におびえているのに。

 36 病患に悩み脆いこの臭穢の身体をもって、最上の安らぎ、無上の安穏に落ち着けよ。
 37 「わたしは雨期にはここに住もう。冬と夏にはここに住もう。」と、愚者はこのようにくよくよと慮って、死が迫ってくるのに気がつかない。
 38 子どもや家畜のことに気を奪われて心が執着している人を、死は捉えてさらっていく。ーーー眠っている村を大洪水が押し流すように。
 39 子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死におそわれた者にとっては、かれらも救済者とはならない。
 40 「わたしはこれを成し遂げた。これをしたならばこれをしなければならないであろう」というふうに、あくせくしている人々を、老いと死とが粉砕する。
 41
それ故に、修行僧らは、つねに瞑想を楽しみ、心を安定統一して、つとめはげみ、生と老いとの究極を見きわめ、悪魔とその軍勢に打ち勝って、生死の彼岸に達する者となれ。
 


お釈迦様が説法をされた霊鷲山の山頂

 いかがでしたか? 漢文のお経とくらべてみると、
すごくわかりやすいと思いませんか。
発祥の地インドと、伝承の地日本との違いです。